ぼくは転職して半年しか経っていない会社で適応障害を発症し、休むことを余儀なくされました。
今回はそんな自分の休職1ヶ月目の過ごし方、どのような仕組みで休職したのか、給料などのお金面についてを実際の体験談として紹介させて頂きます。

一か月目は本当につらくて、ほとんど寝ていた気がする……
適応障害で休職…1ヶ月目の過ごし方。給料は?何をしていた?実際の体験談を紹介!
- 給料・上司への伝え方、どのような仕組みで仕事を休むことになったか
- 休職一か月目の過ごし方
- 休職して一か月を過ごした中での反省点
今回の記事では、上記の流れで休職の開始から、一か月目までの様子の実体験を紹介させて頂きます。
実際に適応障害になった原因や経緯、症状については別記事で紹介予定です!
給料・上司への伝え方、どのような仕組みで仕事を休むことになったか

この章の結論として、休職については初めの10日を有給休暇、残りの日数を欠勤という形で休みをいただきました!
ぼくが務めていた会社はあまり大きな会社ではなく、古くからの考え方が色濃く残った会社だったので、休職という制度が存在しませんでした。
また、産業医もおらず、人事担当も上司が兼任しているなど曖昧な状態。
そのため、一か月の休養が必要という旨の診断書を病院にて発行された後、とりあえず上司にメールで報告すると

報告してくれてありがとうございます。社内で今後の対応について検討するから、一旦残っている有給10日分を消化して休んでくれる?
と、今後について決まるまで有給という形で休むことが決定しました。
そして、10日後。

今日で10日が経ったけど体調はどう?今後についてだけど、社内で休職の実績がないので、一旦は診断書の指定日まで欠勤という形で休む形にしてもらいたいです。明日以降の休み分の給料については傷病手当金を申請することで対応してもらおうと考えているけど、そのような形で進めていいかな?
上司から上記のような内容の連絡をいただきました。
雇用契約に基づく賃金については、「ノーワークノーペイ」という大原則があり、労務提供がないものには賃金を支払う必要がないのが原則です。
そのため、休職中の労働者は労働力を提供していないため、賃金も払われないのが通常です。
したがって、会社が休職制度のルールにおいて特段の定めを置いていない限り、休職中の労働者は賃金の支払いを受けることはできないということになります。
https://roudou-pro.com/columns/327/
予め休職中は給料が出ないことを知っていたので、休職という制度はありませんでしたが、休み方として文句はありませんでした。
このようにして、ぼくの休職は始まっていきます。
・初めの10日を有給休暇、残りの日数を欠勤という形で一か月の休みを取得。
・10日より後の期間は欠勤。その間の給料はなし。
・給料が出ない代わりに会社の方で傷病手当金申請を行ってもらう。
ここまでの内容で参考になる記事!
適応障害で休職一か月目の過ごし方

この章の結論として、休職して一か月目の2週間目までは寝て起きてAmazonプライムビデオで見たいビデオを見る生活。3週間目以降は朝に起きてジムでランニング、そのあとは図書館で勉強っていう感じでした!
休職が始まって一か月目。
正直なにもやる気が起きなくて、ほとんど寝ていた印象があります。
まず、一週間目は本当に寝て起きての繰り返し。
起きていると会社を休んでしまった申し訳なさと、自分の弱さが嫌になってきます。
何かをしたいという欲求もわいてこない。死んでしまいたい。
この期間は本当につらくて病院からもらった薬(スルピリドとエチゾラム)を飲んで不安を抑えて、無理やりに寝ていました。
どうしても眠れないときは、Amazonプライムビデオで昔見たことのあるアニメや映画を見るともなく流し(見たことない作品だと頭で内容が整理できず、逆に苦しかった…)、眠気がやってくるのを待つ生活でしたね…
正直、焦る気持ちもありましたが、病院の人からもネットで調べてみても、「適応障害になったら休め!」と書かれていたので無理にでも休むことを心掛けました。
結果的にこの判断が正しかったのか、2週間目になると、「このアニメ観てみたいな」とか「これ食べたい」みたいな欲求が少しずつ出てくるようになりました。
これらの心の声を無視せず、できる限り欲求について答えるような生活へ徐々にシフトチェンジ。
いま考えるとやばいなと思うんですが、ふと遺書を書きたいと思って、心の声に従って遺書を書いてみると

あれ?どうせ死ぬならもう何でもよくね?
急に今まで悩んでいたことがどうでもよくなり、ずいぶん久しぶりに気持ちが軽やかになりました。
そこからも気分の浮き沈みはありましたが、3週間目からは少しずつ社会復帰したいという気持ちも湧いてきて、朝に起きてジムに行ってランニング。
その後は出社を想定して図書館で本を読んだり勉強をしてみる生活を始めてみました。
ちゃんと一日3食たべることもこの頃から意識しましたね。

おすすめはすき家の朝食!
写真のまぜのっけ朝食は390円と格安で、11時までなので朝に外に出る理由にもなります。
最終的に一か月後には笑えるようにもなりましたし、時間になるとぐっすり眠れるようにもなりました。
しかし、会社に出社することを考えると軽い過呼吸や手の震えが発生する症状は治らず、それらの反応は今の会社に努めている限り治らないかもしれないと病院にて言われました。
これをきっかけに、ぼくは休職して一か月目ですが、退職を決断します。
退職の決断からその後については今も話し合いなどが続いている状態なので、落ち着いたら別記事でまとめたく思います。
・休職開始から一週間目はひたすら寝て起きる生活。
・2週間目からは心の欲求に従って行動。
・3週間目からは社会復帰したいという欲求に従って、朝に起きてジムや図書館に行く生活。
・体調的に回復を実感するも、会社に行くことを考えると過呼吸や手の震えが起こる状態は変わらず。
ここまでの内容で参考になる記事!
- 適応障害になって休職に失敗した話|適応障害になってテンパっている人へ
- 休職を選んだ後悔を抱きながら、私は「休んでよかった」と「もっと頑張れていたら」の間を生きていく
- 【体験談】30代サラリーマン 適応障害 休職中にやってよかったこと5選
適応障害で休職して一か月を過ごした中での反省点

この章の結論として、休職して一か月目の一番の反省点は自分を責めて、大切なものをすべて捨てようとしたことです。
休職して一か月。
過ごし方で書いた通り、焦らずにしっかり休むことを大切にしたので、比較的早く体調を回復できたのは成功だと考えています。
しかし、周りの人への対応は後悔しかありません。
一番大きなものとして彼女への対応。
ぼくは彼女と同棲しているんですが、適応障害という診断を受けて、一番に彼女に対して申し訳ないと感じました。
こんな弱い男では彼女に釣り合わない。
そのように勝手に思い込んで、一方的に彼女へ別れ話をしてしまいました。
結果として、彼女が大人な対応をとってくれて、「病気が治っても同じ考えだったら別れよう」という話になり、別れずに済みました。
今となって振り返ると、彼女が別れてくれなくて本当に良かったと感じています。
もし彼女と別れて一人暮らしになっていたら、遺書を書いた精神状態から判断して、自殺の道を選んでなかったか自信がありません。
彼女以外も両親や友達に対しても合わせる顔がないと感じ、本気で連絡手段を絶とうとしたこともありますし、実際に絶ってしまった人も何人かいます。
いま思えば、何でと思う部分が多いです。
仕事・職場に関連して適応障害になると、慌てて「退職したい」と思うかもしれません。しかし、繰り返すとおり、病気のときに焦って重大な決断はしない方がいいですし、退職は後からでもできます。まずは「休職しての療養」をお勧めします。また、休職中に転職活動をすることもできます。
https://kbc.kizuki.or.jp/column/ad-retirement/
まさにこの通りで、適応障害の症状が重い時に重大な決断はしない方が絶対に良いと思います。
すべて捨ててしまいたいと思い込んでいる方は、まず症状の改善を目指しましょう。
場合によっては、病気が治ってから後悔をしても遅い可能性があります。
・休職して一か月目の反省点としては、人間関係をすべて断とうとしてしまったこと。
・適応障害の症状が重い時には重大な決断をしない方がいい。
ここまでの内容で参考になる記事!
【まとめ】適応障害で休職…1ヶ月目の過ごし方。給料は?何をしていた?実際の体験談を紹介!

以上がぼくの適応障害でどのよう流れで仕事を休むことになったか、過ごし方、反省点になります。
まだ正直、適応障害が治ったという実感は少ないのが正直なところです。
今後についてはできる限りリアルタイムで発信していきたく思いますので、同じ症状の方の力になっていければ幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございます!